産業革命による家畜の機械化 サピエンス全史 第17章 読書ノート

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資本主義と科学という2つの錬金術 サピエンス全史 第16章 読書ノート

サピエンス全史』第17章の読書ノート。

産業革命について書かれたこの章で、特に気になった内容について書く。

人類が利用出来るエネルギー資源は無限である。

本書では、産業革命を「エネルギー変換における革命」と定義している。

石油などの化石燃料が尽きる事を心配する論調が多く見られるが、エネルギーを使い果たす事などありえない事を産業革命が証明していきている。

化石燃料も元は太陽エネルギーであり、それを動植物によって変換したものを使っているにすぎない。

今は無料の太陽エネルギーを利用する手段もあり、他にも核エネルギー、重力エネルギーなど、あらゆるところにエネルギー源がある事が分かる。

つまり、これまでも産業革命で行ってきたように、エネルギーをより効率よく変換する技術を発明すれば良いのである。

家畜を機械化した産業革命

産業革命というと、ヨーロッパの工業都市のような、スチームパンクの舞台のベースになるようなイメージが思い浮かぶが、実は農業の機械化にも多大な影響を与えている。

トラクターなどによる農作業の効率化はもちろん、冷蔵庫による長期保存、高速な輸送手段による遠距離輸送が可能になった。

そして、「悪魔の取引」とも言える農業革命が産業革命の力を借りて行き着いた先が家畜の機械化である。

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農業革命の所で、穀物は人間を利用して世界中に数を増やしたという見方があると書かれており、確かにそれは斬新な視点だと感じた。

むしろ人間が穀物の奴隷であると。

だが、この家畜の機械化も同じような構図で、たしかに機械化されて狭いケージで短い一生を終える家畜動物たちも世界中に爆発的に数を増やすことに成功した。

では、「人間が鶏や豚の奴隷」と言うような視点を持つ事が出来るだろうか?

これはただ単に植物と動物の違いで、動物の方が人類により近いため、その感情を想像しやすいがために、感情移入してしまうからかもしれない。

だが、例え人間同士であっても実際はその痛みも悲しみも想像する事しか出来ない。

分からないものは考えても仕方ない、というその境界線をどこに持ってくるか。

それが人間と家畜動物の間にある人はベルトコンベアで仕分けされるヒヨコを見てもなにも感じないだろう。

反対に狭い所で栽培されている野菜を見ても可哀想と感じる人も居るのかもしれない。

家畜のヒヨコは良くても犬や猫の殺処分は許せないという考え方もある。

同じ人間同士でも奴隷として心を痛める事なく過酷な環境に置ける事もある。

これらは社会という共通認識において好都合なものが選ばれていると考えていいだろう。

サピエンス全史

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サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福 – ユヴァル・ノア・ハラリ & 柴田裕之